旧跡旅行記

日蓮上人辻説法跡(by ドクターキムルさん)

旧跡
 鎌倉小町の一角には柵で囲われた日蓮上人辻説法跡があり、扉には鍵がかかり、中に入ることはできない。しかし、幾つもの石碑が建っており、おそらく全てが日蓮上人辻説法跡に関する石碑であろう。関東大震災以前に建てられた石碑も多くあるようで、遠目にも欠けたり割れたりしているのが分かる。このあたりに鎌倉小町の辻があって、建長5年(1253年)に鎌倉に入った日蓮上人(貞応元年2月16日(1222年3月30日))-弘安5年10月13日(1282年11月21日))が小町大路の街頭に出て、道行く人々に辻説法を行い法華経の教えを熱心に説いていたのであろう。
 鎌倉大町にも日蓮上人が辻説法を行った跡として、「辻の本興寺」と呼ばれた本興寺があり、山門前には「日蓮大聖人辻説法之旧地」の石碑が建てられている。日蓮上人は人通りの多い辻で辻説法を行ったであろうから、当時の繁華街であった鎌倉小町の辻と鎌倉大町の辻での辻説法が多かったであろう。
 ここ日蓮上人辻説法跡は石碑が建ち並ぶ、いわば狭い記念公園のような場所なのに扉には鍵がかかり、中に入れないのはどうしたものか。鎌倉にある日蓮上人ゆかりの地で見られないのはここだけかも知れない。鎌倉では間違いなく最低の旧跡である。
(表紙写真は日蓮上人辻説法跡(鎌倉小町))

【旅行時期】2010/01/~2010/01/
【エリア】鎌倉
【テーマ】歴史・文化・芸術
【投稿者】ドクターキムル

鎌倉の石碑巡り(3)-鎌倉駅から極楽寺(by ドクターキムルさん)

旧跡
 鎌倉には戦前に建てられた石碑が多くある。それを巡ろうと出かけた。鎌倉市教育総務部教育センターのWeb:鎌倉市GreenNet「鎌倉の石碑」(
  • http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kyouikuc/sekihi18.html
  • )を頼りに、ここに掲載されている84の石碑を順次巡った。結論から言うと、このWebでは石碑の所在地の番地や時には町名までに間違いがあり、これを頼りに全部巡ることはとても出来ない相談だ。実際に鎌倉市教育総務部教育センターの者が石碑の所在地を確認してWebに掲載したものと思われるが、まるで小学生以下の仕事ぶりだ。少なくとも、鎌倉町は昭和14年11月3日に鎌倉市になっているのであるから、これ以降の昭和15年3月や昭和16年3月に建てられた石碑が鎌倉町青年団ということはありえようか。石碑には鎌倉市青年団と彫られている。碑銘が正しくないものも何碑か見受けられる。税金を払っている鎌倉市民は抗議すべきかも知れない(。電話番号:0467(23)3000
    Fax番号:0467(24)5569 内線番号:2465 メールアドレス:kenkyu@city.kamakura.kanagawa.jp)。実際に行かれる場合には鎌倉史跡碑事典(
  • http://www.kcn-net.org/sisekihi/menu.htm
  • )(83石碑)で調べてからの方が確実であろう。
     日蓮上人の所謂「辻説法」の旧跡を示す石碑も、今も大路の2箇所にある。「日蓮大聖人辻説法之旧地」(本興寺、建立年は不明)(大町の本興寺門前)と「日蓮上人辻説法之阯」(鎌倉町青年団、昭和11年)(小町2丁目)である。当時は大町、小町ともに鎌倉の繁華街であり、そこの辻で日蓮上人が説法したことはあっただろう。どちらとも言えない。しかし、「俊基朝臣墓所」(鎌倉町青年会、大正6年)と「玉縄首塚由来」(玉縄史蹟顕彰会、昭和43年)と「稲村崎」(鎌倉町青年団、大正13年)と「主馬盛久之頸座」(鎌倉町青年団、昭和10年)と「勝長寿院旧蹟」(鎌倉町青年会、大正6年)の5つは建てる必要のないものである。墓前に立つ大きくて立派な「贈従三位日野公墓碑銘」(明治17年)と古くて(建立年は剥離して判読できない)立派な「玉縄首塚碑」、公園の石碑群の中心となる古い「稲村崎碑」(明治27年)の石碑があり、「主馬盛久之頸座」の横には古い「盛久頸座」の石碑(大正8年)があり、「勝長寿院旧蹟」(大正6年)の横には古い「勝長寿院旧蹟址碑」(明治42年)があるからだ。また、「玉縄城址」は2つあり、何やら「大森貝塚」碑のようだが、団地内にある新しい石碑(鎌倉友青会、昭和31年)は記載内容に乏しい。これに対し、諏訪壇(城祉)登り口にある石碑(鎌倉同人会、大正15年)の方が古く、記載内容もしっかりしている。したがって、「玉縄城址」(鎌倉友青会、昭和31年)は蛇足である。石碑建立当時に「事業仕分け」があったならば、蓮舫議員でなくても「2つはいらないでしょう。」となる。付け加えると、平成12年に建てられた頼朝墓前の「頼朝公顕彰碑」(源頼朝会)は新し過ぎよう。
     全てが公開されている訳ではない。「偏界一覧亭旧跡」は瑞泉寺裏山にあるが、鎌倉石の階段が磨り減ってしまったとして公開中止になっている。実際に公開中止に到った理由は、この史跡がいたずらされたことがきっかけのようだ。一人の心ない行為が鎌倉を訪れる人たちの楽しみを奪ってしまう。
     現在、石碑がないものもある。「和賀江嶋」(鎌倉町青年団、大正13年)は昨年秋の台風で倒壊し、市文化財課で修復中である。
     民家の敷地内にあるものがある。「永安寺址」(鎌倉町青年団、大正15年)は造園業を営む植政さんの庭にある。「荒居閻魔堂阯」(鎌倉町青年団、昭和13年)は民家(借家)の庭端に建っている。これらは民家の人に断ってからでないとならないのは言うまでもない。また、「玉縄城址」(鎌倉同人会、大正15年)は女子校(清泉女学院(中・高校))の敷地内であり、校門でその旨を告げ、校内受付で申請書をもらい、その書面に必要事項を記載して許可を受ける必要がある。
     石碑の中には立地場所が悪いものがある。「西御門」(鎌倉町青年団、大正15年)と「桑ケ谷療養所跡」(長谷上町文化会、昭和37年)は道路上にある。いつ車が衝突するとも限らない。「桑ケ谷療養所跡」は新しいものだが表面には車であろう、こすれた痕が見られる。壊れてからでは遅い。道路から奥に引っ込めてほしいものだ。
     最も重要なことは、これら大正6年以前にも鎌倉には石碑が建てられていることだ。「贈従三位日野公墓碑銘」(明治17年)と「玉縄首塚碑」と「稲村崎碑」(明治27年)、「盛久頸座」(大正8年)、「勝長寿院旧蹟址碑」(明治42年)は上述したが、他にもある。目に付いたところでは、光則寺石碑、御霊神社石碑(大正2年)、大江広元墓所石碑、毛利季光墓所石碑、「明治天皇閲兵之処」石碑(八幡宮)(明治6年)、「鉄道轢死之碑」(明治42年)、「復興寄師芳君之碑」(海蔵寺)、「竺僊梵僊和尚顕彰碑」(葛原ヶ岡ハイキングコース)(昭和15年)、「道路開墾記念之碑」(稲村ガ崎)(昭和13年)、「ローベルト・ゴッホ碑」(稲村ガ崎)(大正元年)、「関東大震災慰霊碑」(浄泉寺)などが挙げられる。
     一番気になる碑は、寸松堂(鎌倉市笹目町5)前の「これより東海道」の石碑である。昭和11年に有形文化財に指定されている店舗(木造2階建搭屋付(一見木造3階建)、九輪が上がる)を建てる際に、庭にあった石碑が邪魔になったので店先に移したものだそうだ。この裏には「塔之辻」(鎌倉町青年団、昭和4年)があるが、道路は交差していない。かつては辻であり、道路傍には道標があったのであろう。中砥にするような石の材質にも見え、丈夫そうだ。かつては藤沢から鎌倉を経由し、朝夷奈切通を越え六浦に至り、走水から房総に渡る「古東海道」があった。その道標である可能性もある。それならば400年以上前のものであり、貴重である。
     今回は、JR鎌倉駅から南の極楽寺界隈のコースを巡る。
    (表紙写真は寸松堂前の「これより東海道」の石碑)

    【旅行時期】2010/01/~2010/01/
    【エリア】鎌倉
    【テーマ】歴史・文化・芸術
    【投稿者】ドクターキムル

    手漉き和紙職人訪問 (5) 三重県伊勢市・伊勢和紙 と伊勢神宮内宮参拝(by belleduneさん)

    旧跡
    伊勢市の大豊和紙工業を訊ねました。伊勢神宮の参拝者の旅館の世話や案内をしていた伊勢市居住の御師達が明治に入ってこの職の廃止となったため、職を失い、明治5年頃、御札製造のために土佐や美濃から紙漉き職人を招いて製紙を始めました。
    明治32年に三社が統合され、現在の大豊和紙工業(株)に引き継がれ、伊勢神宮や他の神社の紙を漉いています。
    楽天のネットで、この大豊和紙が注文できます。
    国産の楮、三椏100%のものからフィリピン、マニラ産のものを混合したもの、100%外国産のものと色んな風合いのものがありました。
    ネットで注文したA4サイズのものは、インクジェット専用紙で、プリント済みですが、現地で購入した手漉きの大判サイズは、これから印刷します。
    大豊和紙工業訪問の後、伊勢神宮の内宮へお参りに行きました。酷暑の中、五十鈴川の畔で涼しい風に吹かれてきました。
    写真編集中

    【旅行時期】2010/06/30~2010/06/30
    【エリア】伊勢・宇治山田
    【テーマ】歴史・文化・芸術
    【投稿者】belledune

    ラオス北部: 山奥から山奥、6,000キロの旅の果て、、、 (by アリヤンさん)

    旧跡
    考えてみれば三重県の山奥からラオスの山奥まで、海路+陸路で約6千キロくらいの大移動をやってきたのだ。

    ちょっと疲れました! 

    第二の故郷?のルアンナムターにたどり着き、ほっとしたのか、油断をしてしまった。
    「もう暖っかいトコに来た!」
    と、思い込み、それまでずっと穿いていたズボンの下ばき(パッチ)を脱いだのでした。
    若い頃は、どんなに寒くてもこのパッチを穿かず、それを自慢の一つにしていたものだ。
    なのに、よるトシには勝てません。
    寒い季節には、40才台からずっとはいております。 

    それを、脱いでしまったのです! 
    途端に寒気がして、鼻水タラタラで、その夜からは熱も出始めました。

    とんだルアンナムター滞在と、なってしまいました。

    For emergency pages;
  • http://www.geocities.jp/ariyan9909n/eurasia3_016.html

  • 【旅行時期】2009/01/20~2009/01/28
    【エリア】その他の都市
    【テーマ】
    【投稿者】アリヤン

    旅記録国内編1995 和歌山・三重〔01-南紀編〕(by Poppyさん)

    旧跡
    【思い出の地を訪ね紀伊半島を一周する母娘二人旅】
    私が小学校低学年の頃まで、我が家は大阪府南部の岸和田市にあった。出掛けるのが大好きだった父は、母や私を連れて南紀へと車を走らせることも多く、幼すぎて私の記憶には残っていなくても、たくさんの写真が残っている。
    父がいなくなって3度目のお正月が静かに過ぎた。暇に任せて昔のアルバムをめくり、母と思い出話に花を咲かせているうち、行ったことは写真が証明してくれるが本人に記憶がない土地を訪ねてみたくなった。母もすんなり同意した。
    旅行社の宿泊プランに「レール&レンタカー」を組み合わせ、単純往復では面白くないという母の提案でそのまま三重県に向かってしまおうという紀伊半島一周プランが出来上がった。冬だけれど何せ南紀、いくらかでも暖かいと良いな・・・。

    【メンバー】
    母と二人旅。

    【泊まったところ】
    勝浦温泉:ホテル中の島の和室(1泊目)。

    【ルート】
    1/12 天王寺-<JR紀勢本線特急>-紀伊勝浦
    1/13 紀伊勝浦-〔レンタカー〕湯の峰温泉-志古(瀞峡)-那智山-紀伊勝浦
       (以上の旅行記⇒本編)
       -<JR紀勢本線特急>-松阪
    1/14 松阪-<近鉄特急>-鳥羽-<近鉄特急>-京都
       (以上の旅行記⇒
  • http://4travel.jp/traveler/poi/album/10477012/


  • 【表紙の写真】
    JR紀伊勝浦駅にて。

    ※この旅行記の写真はスキャン画像ですので、見づらいですがご了承下さい。

    【旅行時期】1995/01/12~1995/01/13
    【エリア】新宮・勝浦・熊野本宮
    【テーマ】
    【投稿者】Poppy

    旧跡関連エントリー

    名所旧跡・・旅ゆけば・・・

    今年の連休は三重県では伊勢神宮・長島温泉・スペイン村と近場で楽しまれた方も多いようですね。日本には見る所がまだまだ有る ... 今日は・・ 名所旧跡・旅ゆけば 誰も書かないウラの話300・・小松原 繁雄 著 ・・より ...

    名所旧跡・・旅ゆけば・・・

    『伊勢神宮』(名所旧跡)

    三重県伊勢市にある日本最古の神社の一つ。正式名称は「神宮」。 鳥居の奥は思ったよりも奥行きがあり、参道中には雰囲気のある場所もある。 ... 残念だった。 2007 12/21 もろもろ鑑賞、名所旧跡 まろまろヒット率3

    『伊勢神宮』(名所旧跡)

    世界遺産に登録された日本の名所旧跡

    ... 熊野参詣道高野山町石道 三重県、奈良県、和歌山県 2004年7月 11.石見銀山遺跡とその文化的景観 島根県 2007年7月 ○現在の日本の暫定リスト 「古都鎌倉の寺院・神社ほか ...

    世界遺産に登録された日本の名所旧跡

    五百羅漢さまと 奥の細道 芭蕉と曽良の旧跡を訪ねて

    五百羅漢さまと 奥の細道 芭蕉と曽良の旧跡を訪ねて・・ 大聖寺の町の屋根の瓦が みんな同じ色をし ... 吉崎寺 松尾芭蕉の生家 松尾芭蕉 蓑虫庵 ・・三重県上野市西日南町1820 義仲寺 木曽義仲 巴御前の巴 ...

    五百羅漢さまと 奥の細道 芭蕉と曽良の旧跡を訪ねて

    資料・トピック63:ゆるキャラまつりin彦根・その4(その他 ...

    ... 名所・旧跡・伝承など 地域の名物 を題材としたキャラクターも、多数来てました。 まず滋賀県野洲市の「 ドウタクくん 」(1881年に 大岩山古墳群 から出土した日本一大きな銅鐸)。 三重県伊賀市の「 いが☆グリオ 」(イガグリ頭で ...

    資料・トピック63:ゆるキャラまつりin彦根・その4(その他 ...

    旧跡の動画


    旧跡画像